ズボラ生活
日々の生活,心理学の研究などなどについて,ダラダラと書いていきたいと思います。
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足の裏の米粒的博士号
またまた指導教官からいきなりの電話。
僕が先日提出した紀要がリジェクトされたとの報告。

紀要ごときでリジェクトされるのもどうかと思うのだが、査読の先生の様子を伺っていると当初からそれは予想していたので、それほどショックではなかったのだが、僕よりも指導教官の方が焦っているようだったのである。

指導教官もメンツがあるのかしらないけれど、リジェクトした審査の先生に会いに行けだとか、副査の先生にも会いに行って話をしてこいだとかいろいろ言い、しかも、今は仕事の年休を使ってでも論文を書くために時間を作る必要があると諭された。

論文を書くのに時間がかかることや作ることはわかっているのだが、どうも、指導教官のニュアンスでは、博士論文を「執筆すること」に時間を使うのではなく、「教官に会いに言って話を聞く」ことに時間を使わなければいけないらしい。

そのこともよくわかっているのだが、やはり、僕にはそんな時間はないし、現在でも仕事で随分と融通を利かせてもらっているのに、これ以上わがままを言う事は出来ない状態なのである。

だがしかし、だいたい、論文内容よりも、指導教官にいかにうまく取り入るかという社交上の問題で博士号の取得の是非が決まるというのも、本末転倒ではないかと思うのである。

指導教官曰く、このまま他の教官に会う事ができなければ、今年の博士論文の提出はかなり危なくなるという。

それって、結局の所、やっぱり社交上の問題じゃない?

なんか、急に馬鹿らしくなってきた。

何が馬鹿らしくなってきたのかというと、自分の都合と自分のために、職場やクライエントに迷惑をかけてまで取得する博士号って何の意味があるんだろうかということですよ。

それならいっそのこと、もう少し時間をかけて教官と社交して、じっくりと論文を書いた方が、よっぽど建設的なのではないのだろうか?しかし、それにはお金がかかるし、仕事の量も増やさなければいけない。そうするとまたまた論文執筆(と教官に会いに行く)時間は少なくなってしまうのである。

なんだか、ほんと、そこまでして博士号ってとらなきゃならないもんなんだろうかと、つくづく自問した今日このごろ。

博論提出、本気で半期延ばそうかな・・・。
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